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アートと社会をつなぐ百年浪漫。

創立マニフェスト

地域と舞台芸術のつながりを
多彩かつ長期に創造・実践するNPO活動を通して
舞台芸術環境の醸成と地域文化の振興をめざすアートファーム。
未踏の荒野を開墾するように
岡山という文化風土に蒔かれた小さな種子を、たいせつに育ててゆきたい。
促成栽培ではなく、手作り栽培でゆっくりと。
より豊かな舞台芸術を実らせるための百年浪漫――。
アートファームは、地域と舞台芸術の新しい時代を切り拓く
“原産地”として歩みつづけます。
1992年12月20日

⦿河畔から内海へ

岡山市街地を南北に貫いて流れる旭川。石山公園の北から後楽園南端へと大きく蛇行した河川は、川幅を広げ京橋と中島を分かちながら緩やかに南下してゆく。その河畔に点在する河川敷やホールを会場に、私たちの活動は始まった。1993年に創設された岡山河畔劇場のコンセプトは「川と街と劇空間」。いつもの見慣れた川のある風景に演劇やダンスや古典芸能が出現し、親水性に溢れた岡山市の魅力を引き出した。舞台芸術とまちが出会うコンセプトは、高梁川のある倉敷市や吉井川のある津山市の街区でも実践された。
それから10年、2002年の私たちは瀬戸内海に浮かぶ小島・犬島にいた。銅精錬所跡地の遺構を会場にアーツフェスティバルを開催するために。ここでも演劇やダンスの舞台芸術は、離島に埋もれた魅力を掘り起こす原基となった。その後、犬島では遺構や空き家を再生したアートプロジェクトが整備され、私たちも島と海を生かしたパフォーミングアーツを幾度となく創作した。旭川から始まった活動は、20余年をへて瀬戸内海へと広がり、さらなる地平を求めて出帆しようとしている。

⦿東京にゆくな、故郷(ふるさと)をつくれ

地方に暮らしていても優れた舞台芸術を創作したり鑑賞したい。私たちの活動は、そうした地域の舞台芸術環境を醸成していく活動でもあった。1992年の創立当時、大小のホールはあっても、今が旬の演劇作品や舞踊作品が自主公演されることは稀だった。新旧の劇団やダンススタジオはあっても、誰でもが演劇や舞踊を基礎から学べたり、自由に創作できる機会も場所も見当たらなかった。まして、市民が日常的に地元の演劇や舞踊の情報を知ることは至難のことであった。
私たちのメッセージは、ある詩人の言葉を借りれば「東京にゆくな、故郷(ふるさと)をつくれ」だった。地方発の取り組みとして、旬で高水準な演劇・舞踊公演を鑑賞できる岡山河畔劇場や、舞台芸術のトップレベルの専門家から戯曲・演出・演技・舞踊・舞台技術などが学べる岡山舞台芸術ゼミナールを創設した。そこに来場したり参加した人々と、実験精神に溢れた多様な演劇・舞踊作品を創造した。[観る]→[学ぶ]→[創る]という活動の中から、地域の舞台芸術情報を発信する「劇ぷれす」という[伝える]メディアを発刊したり、地域の劇場と舞台芸術をテーマにした[考える]セミナーや[つながる]交流セッションが実施されてきた。

⦿課題の数だけ、活動が生まれた

創立から6年を経た1998年、わが国に特定非営利活動促進法(NPO法)が施行された。この施策は、私たちの活動に勇気と希望を与えてくれた。ボランタリーな市民活動として始まった私たちの取り組みは、単なる“愛好家の集い”に過ぎないのだろうか。地域の舞台芸術環境を改革したいという私たちの願いを、社会化する方途はないのだろうか。アートファームのNPO法人格取得は、その問いへの応えとして、第一線で活躍する劇作家、演出家、美術家、建築家、プロデューサー、批評家、文化政策者、出版人、デザイナー、医師、教育者、僧侶らによって設立された。
行政でもない、企業でもない、私たちアートNPOには、これからの地域社会と文化芸術をつないでいく新しいセクターとしての役割が求められていた。無数の課題が私たちの前にあった。地域と舞台芸術をつないでいく取り組みとして、岡山市との「犬島アーツフェスティバル」、福武教育文化振興財団との「海の劇場」や「学校でひらく舞台芸術教室」、福武財団との「瀬戸内国際芸術祭」などに携わった。公立文化施設における舞台芸術の促進にも関わり、岡山県天神山文化プラザや倉敷市芸文館での演劇フェスティバル、静岡県舞台芸術センターとの演劇共同製作事業、サンポートホール高松との自主事業企画、岡山市との岡山芸術創造劇場プレ事業など多岐に及んだ。これらの事業に共通しているのは、“協働”の概念である。地域社会における社会課題に対して、文化芸術によるソリューションを提示するパートナーとして、私たちの活動が生かされてきた。

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